【第五節】正しい信仰を求めている人へ
4. 日蓮正宗に入信すると結婚や就職がしにくくなるのではないか
人それぞれに好みが違うように、宗教についてよく認識していない人の中には、日蓮正宗をこころよく思わない人もいるでしょう。まして日蓮正宗は正邪のけじめをはっきりさせる教えであり、自らの信仰に励むだけではなく他の人に布教する宗教ですから、時には誤解をする人もいるようです。
しかしこのような人でも、よく聞いてみると、正宗の教義そのものや信仰すること自体を嫌っているのではなく、信仰活動にかこつけて家庭を省(かえり)みなくなったり、職場での仕事がおろそかになる、遅刻欠勤が多くなる、布教によって人間関係が損(そこな)われる、などの点に対して心よく思わないようです。
日蓮大聖人は、
「御みやづかい(※仕事など)を法華経とをぼしめせ」(檀越某御返事 御書1220頁)
と仰せられ、法華経を持つ者は社会人としての勤めに対しても真剣に取り組まなければならないと戒(いまし)められています。
この言葉どおり全国・全世界の日蓮正宗信徒は立派な社会人・家庭人として襟度(きんど)をもって日夜努力しています。しかしもし日蓮正宗信徒を名乗りながら、信仰にかこつけて社会的に信用を落したり、世間から顰蹙(ひんしゅく)を買うような者がいたならば、実に残念なことといわなければなりません。またこのようなごく一部の姿をもって、日蓮正宗を正当に評価できない人も実に不幸なことというべきです。
広い世間のことですから、ごくまれな例としては、それぞれの家風や会社の方針として日蓮正宗の信仰を嫌うところもあるかもしれません。また反対に日蓮正宗の信仰者を優先的に歓迎するところもあるでしょう。だからといって、そのつど、信仰をしたり、しなかったりすることは愚かなことですし、信仰の意義がわからない証拠でもあります。
正しい信仰とは人生の羅針盤のようなものです。もし船に羅針盤がなければ安全な航行はできませんし、目的地に着くこともできません。
もしあなたが現在結婚や就職という人生の岐路に立っているならば、もっとも大切なことは目先の結婚や就職はゴールではなく、スタートであるという心構えをもつことです。もし希望どおりの結婚や就職ができたとしても、そのあとの長い家庭生活や社会生活の中で、必ず起こるさまざまな問題や困難な壁を雄々(おお)しく克服し、着実に幸福に向かって前進するためにはその根本に正しい信仰がなければならないのです。
見栄や体裁ばかりを気遣い、信仰をすると周囲からどんな眼で見られるかと神経質になるよりも、自分の人生になにがもっとも大切かを考えるべきです。そして正しい信仰によって、厳しい苦難に負けない強い生命力と、賢明にして明朗な人格を養うことが真の幸福に到達する道であることを考えるべきでありましょう。
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