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【第四節】迷信・俗信・占いなどを信じている人へ


16. 狐つきなどのつきものをどう考えるか


今日の医学では、狐つきや蛇つきなどのつきものを、先天的な異常性格者や精神薄弱者に多く見られるヒステリー性の一種の精神病と判断しています。
しかし実際には、そうした診断だけで説明のつく現象ではないようです。

仏法ではあらゆる生命の本質を十界論(じっかいろん)でとらえていますが、狐や蛇などのつきものは、まさに人間の生命の上にあらわれた畜生界の姿にほかなりません。
十界とは地獄(じごく)、餓鬼(がき)、畜生(ちくしょう)、修羅(しゅら)、人間(にんげん)、天上(てんじょう)、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)、仏(ほとく)の十種の生命の働きをいい、それらはすべて私たちの生命の奥底(おうてい)に冥伏(みょうぶく)しており、日常のさまざまな縁にふれて現れてくるものなのです。
ですから狐つきなども、その人の心身にそなわっている十界中の畜生界の働きが邪(よこしま)な信仰などに誘発されて現われてきたものといえます。

このことは狐つきが、代々稲荷(いなり)などの畜類を本尊(ほんぞん=拝む対象)とする信仰をしてきた家庭に現われる例が、きわめて多いことからもわかると思います。
つまり信仰の対象とした狐や犬などの畜生界の生命と、私たちの生命に備わっている畜生界が呼応して、いわゆる感応道交(かんのうどうこう)して現れた姿がつきものなのです。
感応道交とは本来、衆生の機感と仏の応赴(おうふ)とが相通じて一道に交わることをいうのですが、この働きは広く十界のすべてに通ずるのです。

すなわち正しい仏の教えに従って正しい信仰をつらぬけば、仏界と衆生の十界が感応道交し、しかも衆生の仏性が開発されて、成仏への道が開けますが、狐などの畜類を信仰するならば、その人の心や行動や果報が狐などの畜生界の姿となって現れてくるのです。
したがって狐つきなどで悩んでいる人は、正しい御本尊を信じて唱題(しょうだい=お題目を唱えること)し、自らの畜生界などに紛動(ふんどう)されない強い意志を持つことが大切なのです。

また、こうしたつきものを落とすのに、他宗の行者や神主(かんぬし)などが、暗示や催眠を利用して祈祷(きとう)をしたり、「松葉いぶし」などといって、家の中で松葉を燃やし、その煙でつきものをいぶり出す呪法(じゅほう)を用いるようです。しかしそんなことをしても、その人の心身に刻まれた邪(よこしま)な信仰の汚れを落とすことはできません。

長年の稲荷などの謗法(ほうぼう=正しい仏法を誹謗すること)による罪障(ざいしょう)を消滅し、狐つきなどの苦しみから脱却(だっきゃく)する道は、法華経に、
「我(われ)大乗の教えを闡(ひら)いて苦の衆生を度脱せん」(提婆達多品第十二・開結367頁)
と説かれ、日蓮大聖人が、大涅槃経を引かれ
「此(こ)の正法を除いて更に救護(くご)すること無し。是(こ)の故に応当(まさ)に正法に還帰(げんき)すべし」(太田入道殿御返事・御書912頁)
と仰せのように、仏の正しい教えである妙法蓮華経による以外にはないのです。

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