法華講と創価学会の信心の違いは多くありますが、ここでは三点を挙げて説明します。

■目的
法華講は、正法興隆(しょうぼうこうりゅう)と広宣流布をめざし、法華講員の信心の育成をその活動の目的としています。法華講員は、大聖人の仏法を純粋に信仰し、成仏するための信心をしています。
一方、創価学会は、信仰集団としての一面と、文化団体・平和団体としての一面を持ち合わせています。そのため会員は、信仰活動のほかに、選挙活動や民音のチケット販売、書籍販売など、信仰とはまったく無縁の活動に奔走(ほんそう)させられています。

■師弟
法華講は、日蓮大聖人を末法の御本仏(ごほんぶつ)と仰ぎ、大聖人以来の血脈(けちみゃく)を継承(けいしょう)される御法主上人の御指南に随順(ずいじゅん)して信心に励んでいます。
これに対して、創価学会は「日蓮仏法を奉(ほう)ずる」などといっていますが、実態は「日蓮仏法を具体化して弘めたのは池田先生である」といい、会則には池田大作を「永遠の指導者」と謳(うた)っています。すなわち学会員にとっての「師匠」とは、日蓮大聖人が入滅(にゅうめつ)後の大導師(だいどうし)として定められた血脈付法の御法主上人ではなく、池田大作なのです。

■参詣
寺院は宗祖大聖人の時代から存在し、そこには三宝尊(さんぼうそん=仏法僧)がそなわる重大な意義があります。
法華講の信心は、総本山大石寺を信仰の根本霊場(れいじょう)とし、所属寺院を修行の道場として、日常の信心活動に励んでいます。日蓮正宗の総本山とその流れを汲(く)む末寺には、真の仏宝(ぶつぽう)・法宝(ほうぼう)・僧宝(そうぼう)の三宝が厳然(げんぜん)とそなわっており、法華講員は寺院に参詣することによって、直接三宝を敬い、大きな功徳を積むことができるのです。
一方、創価学会には、会館はありますが、総本山も末寺もありません。
創価学会の会館には仏法僧の三宝がそなわっていないことはもちろんのこと、掛けられている本尊も『ニセ本尊』など、すべて血脈が切れたものなのです。ですから、学会の会館へ行っても、功徳を積むどころか恐ろしい悪業(あくごう)を積むだけです。
なお、創価学会には、本宗から離脱僧(りだつそう)が占拠しているわずかな寺院と、「会館寺院」と称する施設がありますが、これらは寺院としての本来の意義はまったくありません。

これらの三点だけを見ても、法華講と創価学会の信心には形態・内容などに大きな違いがあることがわかります。しかも、もっとも大切なことは信心の結果であり、法華講の信心には、正法正義による即身成仏(そくしんじょうぶつ)の大利益(だいりやく)がありますが、創価学会の信心には、謗法(ほうぼう)の悪業による現罰(げんばつ)と堕地獄(だじごく)の苦しみがあるだけです。

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