法華講とは、日蓮大聖人の仏法を信仰する者の集まりをいい、日蓮正宗寺院のすべてに法華講が組織されています。日蓮正宗の信徒は、必ずいずれかの寺院に所属し、法華講員となることになっています。
ですから、あなたが日蓮正宗の信仰をするためには、末寺に組織されている法華講に所属しなければなりません。あなたがもし、組織に所属することに抵抗(ていこう)を感ずるならば、その考えを改めなければなりません。

日蓮大聖人は『富木(とき)殿御書』に、
「志(こころざし)有らん諸人は一処(いっしょ)に聚集(じゅじゅう)して御聴聞(ごちょうもん)有るべきか」(御書1169頁)
と仰せられ、信心する者は互いに集まって、僧侶の説法を聞くように諭(さと)されています。
また『法華行者値難事(ほっけぎょうじゃちなんじ)』には、
「各々(おのおの)互(たが)ひに読み聞けまいらせさせ給(たま)へ。(中略)互ひにつねにいゐあわせて、ひまもなく後世(ごせ)ねがわせ給ひ候(そうら)へ」(御書721頁)
と示され、弟子檀那(でしだんな)は信心のあり方などを、互いに話し合い、励まし合って精進するよう教えられています。
さらに大聖人は、『生死一大事血脈抄(しょうじいちだいじけちみゃくしょう)』に、
「日蓮が弟子檀那(だんな)等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の思ひを成(な)して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉(たてまつ)る処(ところ)を、生死一大事の血脈とは云ふなり」(御書514頁)
と、日蓮大聖人の仏法を信仰するうえにおいて、同志間の異体同心の団結がもっとも大切であることを御教示されています。

これらの御教示は、法華講員が個々まちまちに信仰をするのではなく、指導教師のもとに、他の法華講員と心を合わせ、励まし合って信心することが大事であるということです。
組織から離れて、自分の思いのままに信心をすることは、必ず我見(がけん)や増上慢(ぞうじょうまん)に陥(おちい)り、仏法の真意を会得(えとく)するどころか、かえって道を誤ることになるのです。
あなたは法華講に入講して、日蓮正宗の正しい仏道修行に励むべきです。

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