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第十七世日精上人は釈迦仏を造立したのではないか
創価学会では、「第十七世日精(にっせい)(上人)は釈迦仏(しゃかぶつ)を造立(ぞうりゅう)して、謗法を犯した」などと誹謗(ひぼう)しています。
しかし、日精上人は、御生涯を通じて日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、大漫荼羅(だいまんだら)御本尊を本宗の信仰の根幹とされていました。それは、総本山の御影堂(みえいどう)や六壺(むつぼ)の板御本尊、常在寺や細草檀林(ほそくさだんりん)の板御本尊を造立され、さらに多くの信徒に漫荼羅御本尊を書写し、授与されていることからも明らかです。また総本山の客殿や了性坊(りょうしょうぼう)、常在寺(じょうざいじ)などの大聖人の御影(みえい)も日精上人の造立・御開眼(ごかいげん)によるものです。

このように、漫荼羅御本尊を根本とされていた日精上人が、釈尊像を崇(あが)めるわけがありません。

たしかに日精上人が著(あら)わされた『随宜論(ずいぎろん)』という書物の中には、御登座以前に、縁故の寺院に仏像を造立したかのような記述があります。しかしこれは、大檀越(だいだんのつ)である敬台院殿(きょうだいいんでん)の信心を守るために著(あら)わされたものです。
当時の敬台院殿は、いまだ信仰至(いた)らずして仏像に執着(しゅうじゃく)し、持仏堂(じぶつどう)として建立した寺院に仏像を造立することを強く希望したため、日精上人はやむなく一時の方便(ほうべん)としてこれを許されました。これによって、宗門内の僧俗から敬台院殿への非難が起こったため、日精上人は一往(いちおう)の弁明として『随宜論』を著わされたのです。

また日精上人は、『日蓮聖人年譜(ねんぷ)』を著わされ、その中で造像家(ぞうぞうか)であった要法寺(ようぼうじ)日辰(にっしん)の文を引用して、その誤りを簡潔に破折(はしゃく)されています。
近代の学匠(がくしょう)と讃(たた)えられる第五十九世日亨(にちこう)上人は、『富士宗学要集』の中で、日精上人の御著述の随所に厳しい批判の注釈(ちゅうしゃく)を加えられています。しかし、宗門内外の膨大(ぼうだい)な歴史資料を収集・編纂(へんさん)するという大偉業のなかで、日精上人の造像破折(ぞうぞうはしゃく)の一文を見落とされたことも仕方のないことでした。
また、日亨上人は、御自身亡き後の宗義の不明な点を、他門の学者から指弾(しだん)されないよう、あらかじめ御自身の手で日精上人の造像に関する部分に注釈を加えられたものと拝察されます。しかし日亨上人が、日精上人を御歴代上人として深く尊敬されていたことを物語る資料は、数多く残されています。

なお、日寛(にちかん)上人が出家得度(とくど)を志されたのは、日精上人の教化によるものであり、また日寛上人は御登座後、日精上人御書写の御本尊を板御本尊として御彫刻申し上げました。この板御本尊は、総本山寂日坊(じゃくにちぼう)・久成坊(くじょうぼう)の常住(じょうじゅう)御本尊として御安置されています。これらのことから、日寛上人も日精上人を深く尊敬されていたことがうかがわれます。
創価学会は、日亨上人の注釈を持ち出して、日精上人を誹謗(ひぼう)していますが、それは日亨上人・日寛上人の御真意にも背(そむ)くものであり、ひいては日蓮大聖人以来の血脈(けちみゃく)を誹謗する大謗法(だいほうぼう)に当たるのです。

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