創価学会員の皆さんへ/第七章 日蓮正宗に疑問を感じている創価学会員に/法主は「本尊書写係りにすぎない」のではないか

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法主は「本尊書写係りにすぎない」のではないか
創価学会では、さかんに「法主といっても本尊書写係りにすぎない」と会員に吹き込んでいます。
一般に、実際の姿よりも故意に小さく見せかけることを「矮小化(わいしょうか)する」といいますが、「書写係」「…にすぎない」などの創価学会の言いぐさは、宗祖大聖人の仏法の一切をご所持あそばされる御法主上人と、唯授一人血脈法水(ゆいじゅいちにんけちみゃくほっすい)の尊厳(そんげん)を矮小化するための悪意に満ちた侮言(ぶげん)です。

このように、御法主上人と血脈法水に悪態(あくたい)をついている創価学会でも、御本尊書写の大権(たいけん)は御法主上人に限るとする、日蓮正宗本来の根本宗義だけは認めざるを得ないようです。

あなたは、御本尊の「書写」という意味を知っているのですか。「書写」とは「書き写す」ことであり、日蓮正宗においては、本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊を御法主上人が「書き写す」ことをいいますが、それは単に大御本尊のお文字を書き写すことではありません。

第五十六世日應(にちおう)上人は『本門戒壇本尊縁由(えんゆう)』に、
「当宗に於(おい)て授与する処(ところ)の御本尊は、一切衆生に下し置(おか)れたる此の御本尊の御内証(ごないしょう)を、代々の貫首職(かんずしょく)一器の水を一器に写すが如(ごと)く直授(じきじゅ)相伝の旨(むね)を以(もっ)て之を写し奉り授与せしむる事なれば…」(日應上人全集1−9)
と甚深(じんじん)の御指南をなされています。すなわち御本尊の御書写とは、本門戒壇の大御本尊の御内証を、時の御法主上人が唯授一人血脈相伝の旨をもってお写しあそばされることであり、大御本尊にそなわる御本仏の「たましい」と、一切衆生を利益(りやく)される御本仏の功徳を、そのままお写し申し上げることなのです。

したがって第二代戸田会長も、
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下(げいか)以外にはどうしようもない」(大白蓮華・昭和34年7月号9頁)
と述べているのです。
まさしく御本尊の御書写は、御内証に御本仏の血脈法水を継承伝持(けいしょうでんじ)あそばされる御法主上人でなければ、なし得ないことなのです。
このことは、日蓮大聖人の仏法の根本法義は、御法主上人お一人に伝えられているということです。ですから御法主上人が、甚深の御境界(ごきょうがい)から衆生を教導される御指南に離反(りはん)して、日蓮大聖人の正義(しょうぎ)は絶対にないのです。

創価学会では、会員に池田大作を「永遠の師」と崇(あが)めさせていますが、池田は唯授一人の血脈を承(う)けているわけでもなく、本尊書写の資格もありません。まして御法主上人に反逆する大謗法(だいほうぼう)者となっているのですから、衆生を成仏に導く「永遠の師」どころか、地獄に突き落とす魔の権化(ごんげ)となっているのです。
あなたが、幸福な人生を築き、成仏を遂(と)げるためには、池田大作に随うべきなのか、それとも、御本仏の血脈法水を承継(しょうけい)される御法主上人の御指南に随(したが)うべきなのかを、よくよく考えてみるべきです。

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