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第九世日有上人は「血脈も法水も我々の信心とまったく同じものである」と説いているのでははいか
第九世日有(にちう)上人は『化儀抄(けぎしょう)』に、
「信と云い血脈(けちみゃく)と云い法水(ほっすい)と云う事は同じ事なり」(聖典977頁)
と仰せられ、信心・血脈・法水は皆(みな)同じ意味である、と御指南されています。
創価学会ではこの御文をもって、
「血脈とは、秘密めいた儀式ではなく、信心のことであり、強盛(ごうじょう)な信心のみが大聖人の境涯(きょうがい)を我が生命に流れ通(かよ)わす唯一の方法なのである」(教宣ハンドブック)
と主張しています。

しかしこの創価学会の論は、日蓮大聖人・日興上人の御教示に背(そむ)くものです。

御法主上人に相承される唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈を否定するならば、日蓮大聖人が門弟の中から、ただ一人日興上人を選定されて仏法の一切を相承されたことを示す『二箇相承(にかそうじょう)書』を否定することになります。また、日興上人が日目上人お一人に法体(ほったい)の血脈を相承されたことは『日興跡条々事(あとじょうじょうのこと)』に明記されており、この日興上人の御付嘱(ごふぞく)書をも否定することになるのです。
しかし、日蓮大聖人の仏法には本来、「法体の血脈」と「信心の血脈」とがあり、唯授一人の法体血脈を根本とすることは前項に述べたとおりです。

先に引いた『化儀抄』の中には、
「手続(てつぎ)の師匠(ししょう)の所は、三世(さんぜ)の諸仏高祖已来(こうそいらい)代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能(よ)く能く取り定めて信をとるべし」(聖典974頁)
と仰せられ、本宗の師弟相対(していそうたい)の信仰において、「高祖已来代代上人」、すなわち日蓮大聖人以来の唯授一人の血脈を継承(けいしょう)される御法主上人を根本とすることを御教示されています。
このことからも日有上人が「法体の血脈」と「信心の血脈」を明確に立て分けられていることが明らかです。

なお、第五十九世日亨(にちこう)上人は、冒頭の『化儀抄』の御文について、
「信心に依りて法水を伝通(でんずう)する所を血脈相承と云(い)ふが故(ゆえ)に、信心は永劫(えいごう)にも動揺すべきものにあらず、撹乱(かくらん)すべきものにあらず、もし信が動けば其(その)法水は絶えて来(きた)ることなし」(富要1−176頁)
と仰せられ、大御本尊にそなわる御本仏のお心や教え・功徳などの法水は、信心によって衆生に流れ伝わるものであり、そのことをさして血脈というと御教示されています。しかしこの御教示は、「法体の血脈」を根本としたうえでの「信心の血脈」の大切さを教えられたものであって、「法体の血脈」を否定するものではありません。
これらのことから、創価学会が「法体の血脈」と「信心の血脈」を意図的に混同させて、大聖人以来の唯授一人の法体の血脈を否定することは、日蓮大聖人の教義に背く大謗法なのです。

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