創価学会は「(宗門が)御書は大聖人の仏法の一部分を明らかにしたものにすぎず、全部を受け継いでいるのは法主だけである」といって、あたかも宗門が御書部分論なるものを主張しているかのように言い掛かりをつけています。
しかし、宗門が「御書部分論」なるものを主張したことは、まったくありません。「御書部分論」という名称は、創価学会が勝手に作り出したものです。

日蓮正宗において、御本仏大聖人の御書が宗義の根幹(こんかん)をなす最重要書であることはいうまでもありません。
第二祖日興上人は、後代の弟子に対して、
「当門流に於(おい)ては御抄を心肝(しんかん)に染め極理(ごくり)を師伝(しでん)し云云」(日興遺誡置文・御書1884頁)
と仰せられ、日蓮大聖人が著(あら)わされた御書を心肝に染め、法義の極理を師弟相対(していそうたい)によって会得(えとく)すべきことを教誡(きょうかい)されています。
すなわち、御書の深義(じんぎ)を正しく拝していくためには、極理の師伝である唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈相伝(けちみゃくそうでん)にもとづかなければならないのです。

日蓮大聖人は唯授一人の血脈相伝について、『御義口伝(おんぎくでん)』に、
「秘(ひ)すべし秘すべし唯授一人の相承なり。口外(こうがい)すべからず」(御書1796頁)
と御教示されています。
また第二十六世日寛(にちかん)上人は、『寿量品談義(じゅりょうほんだんぎ)』に、
「今二十四代伝(つたえ)て大石の精舎(しょうじゃ)にあり金口(こんく)の御相承切紙(きりがみ)相承其(そ)の外(ほか)種々の御相伝有るげにありと云云」(富要10−254頁)
と仰せられ、日蓮大聖人の仏法の奥義(おうぎ)は、唯授一人の血脈相承によって伝えられていると御指南されています。

創価学会は、御書さえあれば日蓮大聖人の仏法はすべて理解できると主張していますが、他門の日蓮宗も大聖人の御書を拝読していながら、邪義異説(じゃぎいせつ)を唱えています。これは相伝がないからです。したがて、創価学会が「御書さえあれば相伝などいらない」と主張することは、日蓮大聖人や御歴代上人の御教示に背(そむ)く、浅識(せんしき)・?慢謗法(きょうまんほうぼう)というほかはありません。
創価学会が、宗門に対して「御書部分論を唱えている」といって誹謗(ひぼう)するのは、唯授一人の血脈相伝に背く自分たちを、正当化するための詭弁(きべん)にすぎないのです。

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