創価学会員の皆さんへ/第七章 日蓮正宗に疑問を感じている創価学会員に/「法主は大御本尊と不二の尊体である」は謗法ではないか

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宗門では「法主は大御本尊と不二の尊体である」といっているが、これは謗法の論ではないか
あなたの質問は、平成三年七月に宗門が創価学会に対して教導した『能化文書(のうけぶんしょ)』の一部分を曲解(きょっかい)したところから出てきたものと思います。

その文書には、
「本宗の根本は、戒壇(かいだん)の大御本尊と唯授一人血脈付法(ゆいじゅいちにんけちみゃくふほう)の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従(ずいじゅう)し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処(とうしょ)は、戒壇の大御本尊と不二(ふに)の尊体(そんたい)にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません」(大日蓮・平成3年9月号87頁)
とあります。

創価学会は、この文書にある「血脈の当処」と「御法主上人」とを宗門がただちに、まったく同じものと主張しているかのように言い掛かりをつけています。しかし、この創価学会の言い掛かりは、内証(ないしょう)と外用(げゆう)を、悪質な作意をもって混同させたことによるものです。
「唯授一人の血脈の当処」とは、宗祖日蓮大聖人から第二祖日興(にっこう)上人に唯授一人の血脈をもって相伝された仏法の一切がましますところであり、それは代々の御法主上人にそのまま伝えられています。この「血脈の当処」こそ、歴代法主上人が御本尊を御書写される御境界(ごきょうがい)であり、御法主上人の御内証と拝すべきなのです。

かつて第六十六世日達上人は、
「大聖人様が広宣流布の時の大導師(だいどうし)日目上人様として、第三代を継いで現われたのが猊座(げいざ)であります。(中略)そこが大聖人様のお席である。だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている」(達全2−3−320頁)
と御法主上人の御内証について御指南あそばされる一方で、
「法主が大聖人様の代わりだと、即座にこういうことを言うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたい」(達全2−5−451頁)
と、法主上人の外用についての御教示をされています。

第六十七世日顕上人も、
「たしかに本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝(さんぼう)における内証と外用等の甚深(じんじん)の立て分け、筋道があるのです。(中略)しかし、それと学会が論難(ろんなん)する『法主即(そく)大聖人』や『法主本仏』などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません」(仏法破壊の邪難を粉砕す・245頁)
と、三宝における内証と外用の立て分けについて御指南されています。
これらのことからも、あなたの質問は、創価学会の曲解と捏造(ねつぞう)に影響されたものというべきです。

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