創価学会は、機関誌である聖教新聞などで、池田大作が海外からさまざまな称号や勲章を受けたことを、連日のように大々的に報道し、池田礼讃(らいさん)に躍起(やっき)となっています。それは創価学会の方針として、会員に池田大作の神格化(しんかくか)・絶対化の意識を植えつけるためです。

他の新興宗教の例を見てもわかるように、教祖の神格化・絶対化を説く宗教は、それ自体が邪宗教である証(あかし)ともいえるのです。
信仰に生きる真摯(しんし)な姿勢をもつ宗教者であれば、肩書きや称号などで自らの身を飾り立てたり、それを自慢したりすることはないはずです。池田の称号・勲章集めは、宗教者本来の姿からも遠く離れた煩悩(ぼんのう)のかたまりの姿というほかはありません。

元SGI(創価学会インタナショナル)幹部の証言によれば、その幹部は、学会本部からの指示を受け、外国の大学に図書を寄贈する見返りとして、大学から池田大作への称号を授与してもらえるよう奔走(ほんそう)したそうです。
このことからもわかるように、池田の称号・勲章のほとんどは、会員から集めた金銭を使って手にしたものなのです。
心ある世間の人は、称号・勲章で身を飾り立てているからといって、創価学会が正しいと思うわけがないのです。

池田大作がなぜこのように称号・勲章に執着(しゅうじゃく)するかといえば、池田の虚栄心を満たすためであり、会員や世間の眼を欺(あざむ)き、やがては「世界の指導者」となる野望を果たすためなのです。
このような池田の野望を遂(と)げるために会員を煽(あお)ることに終始する創価学会は、もはや「新興宗教・池田教」というほかはないのです。 |