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創価学会の思想について
■創価学会は平和主義を唱え、世界平和に貢献しているからすばらしい
平和とは「穏やかにやわらいでいること」や「争いがなく、世の中が治まっていること」をいいます。
創価学会は「平和主義を標榜(ひょうぼう)する」などとしていますが、現在、世界の人々の中で「平和をきらう人」などいるのでしょうか。世界平和は全民衆の願いです。
それを、あたかも自分たちだけが平和主義者であり、「世界平和」を主張する団体であるかのように標ぼうする創価学会は、きわめて当たりまえのことを謳(うた)い文句にし、それを宣伝の道具に使っているにすぎないのです。

世界の人々は今、平和の実現を願いながら、その方途(ほうと)を見い出せずに苦しんでいるではありませんか。にもかかわらず池田大作は、平和実現のための具体的方途を何一つ示さず、世界の識者と呼ばれる人と対談し、「人間を大切に」「思いやりが大事」「21世紀は人間の世紀」などと、聞こえのよい空虚な言葉を並べて「平和実現の偉大な指導者」を気どっているのです。
しかし創価学会は、批判者や脱会者に対しては容赦(ようしゃ)なく攻撃しています。また、自民党との連立を維持するためには、多くの国民の反対を押し切って、憲法に違反するおそれがあるにもかかわらず、十分な論議もつくされないまま、戦乱状態にあるイラクへの自衛隊派遣を支持するなど、創価学会のいう「平和主義」はきわめてご都合主義といわざるを得ません。

真の世界平和は、世界民衆の一人ひとりに日蓮正宗の正法を教え、生命の根底にある仏性(ぶっしょう)を呼び覚(さ)ますことによってこそ、実現するのです。
第二代戸田会長も、
「暴力や戦争を否定して、真に文化的な平和な楽園を建設するための根本的思想、哲学を持つ宗教が、富士山麓(さんろく)に厳然と存在していることを主張するものである」(戸田城聖全集1−22頁)
と語っているとおりです。

■創価学会は人間主義を標ぼうし、一人ひとりの人間を大切にしているからすばらしい
「人間主義」とは、人間個々の人格や思想、権利を尊重するところからはじまります。
しかし、創価学会でいう人間主義とは「学会員中心主義」であり、「一人ひとりを大切に」という場合の「一人」とは創価学会員のことをいい、さらにいえば池田大作一人、ということです。それは池田大作が勲章や称号をもらい、会員から喝采(かっさい)を浴びて、一人悦(えつ)に入(い)っている現状を見れば明らかです。
現在の創価学会は、宗門僧侶や脱会者など池田大作を批判する者に対しては口汚なく誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)し、「脱会者は自殺するまで追いつめろ」といって、尾行や盗聴などのいやがらせを繰り返しています。この創価学会の姿は、およそ「人間主義」とはほど遠いものです。

創価学会が「人間主義」を標榜するのは、宗門を「権威(けんい)主義」と決めつけ、池田大作を博愛主義者らしく持ち上げるための手段にすぎません。その根底には、池田大作の考えこそがすべての中心、との思い上がりがあるのです。
創価学会は、仏法を破壊する大謗法集団であり、「一人ひとりを大切にする」どころか、会員一人ひとりの人間性を踏みにじり、地獄に突き落とす魔の集団なのです。

■創価学会こそ正義の集団である
「正義」といっても、社会的正義、仏法的正義など、その立場や視点によってさまざまに解釈されます。
創価学会の「学会こそ正義の集団である」との主張は、「創価学会が社会的にも仏法的にも正義の集団である」という意味でしょう。しかし、このようなことを臆面(おくめん)もなく主張する心底(しんてい)には、批判者はすべて悪であると決めつける創価学会の思い上がりと、独善的体質が透(す)けて見えます。
現実の創価学会は、社会的には、言論出版妨害事件や電話盗聴事件、替え玉投票事件などの事件を起こしており、また、仏法のうえでも大きな誤りを犯しているのですから、創価学会は社会的にも仏法的にも正義の集団とはいえません。

創価学会を「正義の集団である」と信じ込んでいる会員は、まさしく狂信的錯覚に陥っているというべきです。これらの狂信的錯覚は、池田創価学会のマインドコントロールによってもたらされたものなのです。
仏法における正義(しょうぎ)は、一切衆生を成仏せしめる教えのことであり、末法においては日蓮大聖人の仏法のことです。その正義(しょうぎ)の法体(ほったい)は、出世の本懐(ほんがい)である本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊であり、衆生を成仏に導く正義は唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈(けちみゃく)相伝にきわまるのです。これについて『百六箇抄(ひゃくろっかしょう)』には、
「但(ただ)し直授結要付嘱(じきじゅけっちょうふぞく)は唯一人(ただいちにん)なり。白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)日興を以(もっ)て総貫首(そうかんず)と為(な)し、日蓮が正義(しょうぎ)悉(ことごと)く以(もっ)て毛頭(もうとう)程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢(おわ)んぬ。上首(じょうしゅ)已下(いげ)並びに末弟等(まっていら)異論無く尽未来際(じんみらいさい)に至るまで、予(よ)が存日(そんじつ)の如く、日興が嫡々(ちゃくちゃく)付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(御書1702頁)
と御教示されています。
したがって、日蓮大聖人の正法正義(しょうぼうしょうぎ)を継承(けいしょう)する宗団は、日蓮正宗以外にはないのです。

■御書に『仏法と申すは勝負をさきとす』とあるように創価学会はすべてに勝利している
日蓮大聖人は『四条金吾殿御返事』に、
「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書1175頁)
と仰せられていますが、創価学会はこの御文を「どのような手段を用(もち)いても、相手をやり込めれば勝ちである」と理解しています。しかし同抄の後段には、
「仏法と申すは道理なり」(御書1179頁)
との御文があり、これらを照らし合わせて拝すれば、大聖人が仰せられる「勝負」とは「道理」のことであり、創価学会のいうようなものではないことが明かです。
仏法における「道理」とは、いうまでもなく「正法正義」のことです。日蓮大聖人の仏法の根幹(こんかん)である本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈(けちみゃく)相承こそ、仏法の根本となる道理そのものなのです。
現在の創価学会は、社会的には尾行・盗聴などの反社会的行為を犯しており、仏法のうえでは正法誹謗(ひぼう)、三宝破壊(さんぼうはかい)、血脈否定などの大罪を犯して仏法の道理に反逆しているのですから、すべての面で道理に外れた極悪集団になり下がっています。
また、創価学会は、数多い宗門との裁判の中で、相次いで宗門側が勝訴した正本堂の関連裁判などには頬被(ほおかぶ)りしてまったく報道せず、不当判決によって勝訴したわずかな事例や、一時的な選挙結果を誇張して「勝った!勝った!」と喧伝(けんでん)しています。
これは、創価学会の欺瞞(ぎまん)体質からくる会員に対する情報操作にすぎないのです。
したがって、あなたのように偏(かたよ)った報道のみを信じて「創価学会が正しい」などと判断することは大きな誤りというべきです。

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