昭和59年、第六十七世日顕上人は、大石寺開創(かいそう)七百年を記念して二百ヵ寺の建立寄進(こんりゅうきしん)を願い出た池田大作の反省の心を汲(く)まれ、池田を法華講総講頭(ほっけこうそうこうとう)に再任されました。

その後、池田大作は宗門への恭順(きょうじゅん)を装っていましたが、平成2年11月16日、ついに増上慢(ぞうじょうまん)の本性を露(あら)わにして、全国の学会員に対し衛星放送をとおして、法主誹謗(ほっすひぼう)と宗門蔑視(べっし)のスピーチを行いました。その内容は、
「猊下(げいか)というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません」(第三十五回本部幹部会スピーチ)
「50周年、敗北の最中(さなか)だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々(さんざん)やられ・・・」(同)
というもので、これは昭和53年の「お詫び登山」における反省懺悔(ざんげ)を反故(ほご)にする、法華講総講頭にあるまじき発言です。

これに対して宗門は、平成2年12月13日、学会との「連絡会議」の席上、「お尋(たず)ね」文章をもって池田スピーチの真意を確かめようとしましたが、学会側はこの文書の受け取りを拒否しました。そのため宗門は同月16日、同文書を学会本部に送付しましたが、これに対して学会は、誠意ある回答を示すどころか、かえって敵意を露(あら)わにした「お伺い」と称する詰問(きつもん)書を送りつけてきたのです。

このような経過のなかで、宗門は同年12月27日に宗会(しゅうかい)を開き、かねてからの懸案(けんあん)であった、法華講本部役員の任期に関する「日蓮正宗宗規(しゅうき)」の一部改正を行い、これにより池田をはじめとする総講頭・大講頭は、その資格を喪失(そうしつ)しました。

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