創価学会では、池田大作が戸田第二代会長から直接、次期会長に指名されたかのように会員に教え込んでいます。しかし、実際は側近幹部から後継者について尋(たず)ねられた戸田会長は、
「それは、お前たちが決めるんだ」(有徳王(うとくおう)139頁)
と答えたと、その場に立ち会っていた龍年光(りゅうとしみつ)氏が述懐(じゅっかい)しています。つまり、池田大作は戸田会長より直接、第三代会長に指名されたのではなく、戸田会長の亡きあと、学会本部内の権力闘争(けんりょくとうそう)によって会長職を手中に収めた、というのが真相です。第二代会長の死後、会長職が二年間にわたり空席だったことも、それを物語っています。

昭和35年5月3日、池田大作が第三代会長に就任(しゅうにん)しましたが、池田はのちに、
「自分は会長になりたくなかったので辞退したが、当時の小泉理事長から再三にわたって要請されたので、やむなく会長職を引き受けた」(池田大作 私の履歴書(りれきしょ)128頁趣意)
などと、会長職を渋々(しぶしぶ)受けたように語っています。

しかしこれは、のちのためのポーズであり、むしろ、ひそかにねらっていた地位をようやく掌中(しょうちゅう)に収めたというのが池田の本音だったのです。
それは、会長に就任した池田が、のちに自分を第三代会長に推薦しなかった中枢(ちゅうすう)幹部を次々に左遷(させん)したり、閑職(かんしょく)に追いやった事実からも明らかです。

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